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  • 執筆者の写真Aya Date

言い切らない日記


言い切らない日記、始めます。

言い切る文章がよいとされる中で、でも言い切れない、言い切りたくない。そんな気持ちを抱えながら考えたことを書いていきます。

言い切ったほうが説得力がある、信頼されるというのは、そうだなあと思ったりもするのですが。

でも、自分が世の中のすべてのことを知っているわけじゃない。たとえば仕事として書く以上は調べきって書くのがプロというのは、たしかにそうなのだけれど。でも普段考えることの、分野によっては、全員に当てはまることも、そうでないこともある分野もあって、そこをまとめて書いてしまうことに抵抗がある。

「自分はこう思う」は言えるけれど、「あなたもそうでしょ」とか「あなたもそう思うべき」とはなかなか言えない。言っちゃうこともあるけれど、そこの正当性を自分自身が最終的には強く言い張れないような。 もっと言えば「私は今こう思う」けれど「明日には違うことを考えているかもしれない」。

いったんその時点で検証した点までを断言して、間違っていたら修正して…という書き方は優れていて、真っ当ではある。言い切らなくても、あとでさらに修正していくことは当たり前にあるし。でも、そもそも検証しきれたと言えることって、普段そんなにあるのだろうか。

言い切らないということは、「私とあなたが分かり合うことをあきらめた文」でもある。「私とあなたが同じであるという前提は私は持てない」ということだけが、今、言い切れること。

分かり合わなくても、仲良くしなくてもいいから、踏みつぶさなければ、殺し合わなければ、それでいいと私は思う。そのぎりぎりの線をどう作るか。近づきすぎて一緒にいるには相手に大幅な矯正を強いる、もしくは自分が無理して自分を矯正しないと事が進まなくなるくらいなら、離れられるなら離れたほうがいいと思うし、分かり合わないことイコール嫌い、ではないし、嫌いになることイコール悪いことでもない。嫌いなまま最低限互いに大事にできれば、それが最善の解決策ということもある。

私はこう考える。こう感じる。あなたはそう考えるのか。そう感じるのか。それらはたまたま交差するかもしれないし、ずっと平行線かもしれないし、離れていくばかりかもしれない。そんな自分の自由と相手の自由がひりひりとぎりぎり同じ地球上で存在できる在りようを、どう手探りしていけるだろう。

と、いう、すごくもやもやした日記を、書きたいとき書けるときに書いていく日記です。すっきりしなくても平気な方、問いをかかえたまま生きていきたい人向け。


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